確か、良寛和尚さんの話だったと思います。
昔々、ある村に若い娘がおりました。
娘には想い合った若人がおり、やがてその腹に子供が授かりました。
しかし二人はまだ結婚もしていないどころか親に好きな人がいることすら話しておりません。
しかし時は流れ、娘のお腹は日に日に大きくなっていきます。
そして娘はとうとう一人の赤ちゃんを産みました。
当然親は怒ります。
父親なんかはもうカンカン。
相手の男は一体誰だ!!と詰め寄ります。
相手の名前を打ち明けられない娘は、あろうことか「お寺の住職です」と答えました。
怒り狂った父親はお寺へ殴り込みます。
「お前さんはたいした偉い坊さんと思っていたが、なんてことをしてくれた!!しかし坊さん相手では結婚もさせられない。せめてこの子を引き取ってお前さんが育てるが良かろう」
そう言って父親は子供をお寺においていきました。
すると和尚さんは「はい、はい」と笑いながらその子のお世話をしたそうです。
何ヶ月かして、子供が恋しい娘は泣きながら娘は父親に本当のことを打ち明けました。
とんでもない勘違いをしていた父親は慌ててお寺に謝りに行きました。
すると和尚さんは「はい、はい」といいながらその子供を娘のもとに返したそうです。
執着しない、頓着しない、という仏法の智慧をサラッと表現したいいお話です。

情がうつる、ということばがありますね。
一緒にいる間に、愛情が生まれる、ということでしょう。
うちに避難してきていた二匹の仔猫。
本日無事、どちらも里親さんのもとに旅立って行きました。

来た当時は手のひらに載るほどの二匹の温かい命。
育て方も知らず、冷たい牛乳をあげてしまいお医者さんに怒られたこと。
自分では飲めないミルクを、注射器で口に吸わせた想い出。
排泄を促すため、ティッシュをぬらしておしっこをさせてあげたこと。
寝ていると顔のそばに来てぺろぺろなめるトラと黒。
わかってはいたのに、とても寂しいです。
これは執着か、それとも愛着か。
良寛さまのようには、なかなか参りません。

たしか猫は井戸端会議をするとか。
うちの庭に、井戸があるよ。
会議の会場に使ってくれないかな。

元気でな、トラと黒。
追記
読者の方より、良寛さんではなく白隠禅師ではないかとのご指摘がございました。
ありがとうございます。
訂正させていただきます。
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