騎牛帰家。

先日、久しぶりに東京在住の技術通訳であり、また作家でもある小池一介先生よりお電話をいただきました。

先生とは以前、世界で初めて「陸舟奔車」と呼ばれる自走式自転車を発明した平石久平次の足跡を辿って長松院に来られたご縁で知り合った仲。

それ以降ご無沙汰していたのですが、変わらずお元気そうなお声で近況報告などをしてくださいました。

 

その際に「実は今ご縁があって細谷而楽の研究をしている」とのお話が。

 

細谷而楽……前橋藩士の家柄に生まれ。明治30年(1897年)9月、東京武術学校予科(現東京藝術大学)に入学、翌年には新しく開かれた塑造科へと進み担当教官である高村光雲に師事。同期には高村光太郎(光雲の子息)がおり、ともに学業に励む。明治41年(1908年)に光雲の推薦により、文部省古社寺保存会に勤務し奈良へと移り、仏像、古美術の修復にその天分を発揮、特に東洋独特の乾漆彫刻の伝統技術を苦心のすえ解明し、復原することに成功。唐招提寺の乾漆仏像を修復してからは乾漆工芸家として知られ、日本国における仏像修復の貴重な存在となる。代表作に新薬師寺の塑造十二神将のうち、江戸時代の地震で失われた1体(寺伝・波夷羅大将像)を補作(1931年)。昭和15年没。 Wikipediaより抜粋

 

その研究の過程、細谷而楽作の十牛図が手に入った。長松院では坐禅会もされているようだから、このうちの一つを寄贈したい。参禅者の皆さんに見ていただいて、坐禅に励んでもらえたら、と小池先生。

 

十牛図(じゅうぎゅうず)……悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。「真の自己」が牛の姿で表されているため十牛図といい、真の自己を求める自己は牧人(牧者)の姿で表されている。作者は、中国北宋時代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵と言われる。

よく知られている作例としては室町時代前期の禅僧の絶海中津が描いた十牛図(相国寺蔵)、室町時代中期の画僧の周文が描いたと伝えられる十牛図(相国寺蔵)がある。      Wikipediaより抜粋

 

今回先生が手に入れたのはこのうちの6番目、騎牛帰家。

牛(悟り)を求めて旅して歩いた童子(修行者)がその牛にまたがり、家(元いた場所)に帰る図で、修行がかなり完成されている状態を表す段階です。

ここまで(最初の悟り)に至る道は大変長く厳しい道のりなのですが、禅堂にまさにぴったりの版画です。

 

どうやらこの作品は昭和の初め、つまり細谷而楽最晩年の作と考えられる、と小池先生。

下地には布と石膏の上に漆をかけたものらしく、重そうに見えますが実際は見た目よりだいぶ軽いです。

 

ちなみにこんな古い立派な箱に入れられていました。

 

禅堂のどこに飾ったものかしばし悩みました。

入り口か、柱か、桟の上か、はたまた聖僧さまの机の前か。。。

 

で結局入り口のところに飾りました。

みんなに見てもらうには一番いいように感じました。

 

私も早く牛に乗れるように修行に勤しみたいと思います。

小池先生、本当にありがとうございました。

お寺の宝として大事に伝えてまいります。

 

次の坐禅会が楽しみです。