キングもポーンも ゲームが終われば同じ箱に戻る

Once the game’s over, the king and the pawn go back into the same box.

イタリアの格言より。

この場合のゲームという言葉、いろんなシチュエーションに還元できますね。

私は”生老病死”がぽんと頭に浮かびました。

つまり人生そのもののことです。

 

人生はよくゲームに例えられますね。

しかしこのゲーム、初めから無理ゲー。

明確なルールがないんです。

だから、勝ち負けは決して決まらないし決められない。

だから我々の先輩方は、そのルールを作ろうと躍起になってきた。

そのルールとは、資本主義であり共産主義であり、キリスト教でありイスラム教であり、カースト制であり奴隷解放であり。

しかしどんなルールに則って自分の役を務めようとも、ゲームを続けられなくなれば、つまり死が迎えにくればそこで試合終了。

王様もこじきもない。

 

禅宗にいう「本来の面目」や「主人公」はこのルールに則っていません。

そもそも同じゲームですらないといえます。

 

自分は一体何者か。

 

それを探すのがいわば禅宗の目指すゲーム。

纏った仮面や体裁を捨て、本来の自己を見つめる。

それができれば、同じ箱に戻ることはない。

 

のかもしれません。

人生に失敗がないと 人生に失敗する

IF YOU  HAVE NO FAILURES IN LIFE, YOU FAIL LIFE.

歌人であり、精神科医でもあった斎藤茂太先生の言葉。

お父さんはやはり歌人で精神科医でもあった斎藤茂吉先生で、弟はこれまた作家で精神科医の北杜夫先生。

 

みなさん、失敗することを恥ずかしく思ったり、隠したくなったりしませんか?

 

私はします。

 

失敗より成功した体験の方が嬉しいし、胸をはって人に話すことができます。

失敗は少ない方がいいに決まっています。

 

しかしふと考えてみると、成功した体験より失敗した体験の方がずっと記憶に残っているというようなことが多々あります。

 

「あの時なんであんなこと言ってしまったんだろう」

「あの時ほかにやりようがあったのに」

 

後悔してもしょうがない。

だったら反省して次に活かす。

 

頭ではわかっているのですが、なかなかできませんね。

 

私はきっと他の人より失敗の多い人生を送っています。

しかしこの言葉を聞いて、少し気が楽になりました。

 

優しい言葉ですよね。

 

 

 

この泥が あればこそ咲け 蓮の花

no mud, no lotus.

 

 

蓮の花は仏教やヒンドウー教などにおける神聖な花で、特に仏教では仏様が坐っておられます。

蓮は泥の中から生まれ出でて清浄な花を咲かすことから、娑婆世界の苦しみの中からでも綺麗な花を咲かせられるようにしましょうね、というメタファーなのでしょう。

 

例年よりも1ヶ月以上早い開花に首を傾げておりましたが、よくよく考えたらこの蓮根、八王子の師寮寺から嫁入りしてきたものでした。

そういえば、東京は七月盆。

実家のお盆に合わせて盛りを迎えているのでしょうか。