好きな事を仕事にすれば 一生働かなくてすむ

if you could get a job you wish for, you don't have to work  for your life.

なんだか砕けた言葉で、最近の人が言っているような格言ではありますが、実はこれ、孔子様の言葉です。

 

『汝の愛するものを仕事に選べ、そうすれば生涯一日たりとも働かなくて済むであろう』

 

最近の若者は昔に比べて根気がない。

就職してもすぐに諦めて辞めてしまう。

よく耳にするセリフですね。

 

でも昔と今では状況があまりに違いすぎる。

昔はコンピュータも携帯もゲームもない。

『白黒テレビ』『洗濯機』『冷蔵庫』を三種の神器、『カラーテレビ』『車』『クーラー』を3Cと呼び、繁栄の象徴とした戦後の時代は遠く、生まれながらにインターネットを使いこなす現代っ子に昭和を押し付けても理解すらしてくれません。

さらに追い打ちをかけての就職難や経済不況、AIなどの機械の台頭は働く意欲を阻害するものであるかもしれません。

 

しかしそれでも、我々は働かなければなりません。

人類は未だ、働かざるものまで養えるほどの発展はしていない。

それならば『なれるもの』になるのではなく、『なりたいもの』になるべきだと私は思います。

 

しかし人類は、紀元前6世紀の昔から仕事は嫌だなあと思ってきたんですね。

そう考えると少し滑稽です。

 

まあ、私はあまり働いている感覚はありませんが(笑)

 

日々是好日です。

歩みゆく 道は一つにあらねども 我は忘れじ 君の面影

walk your way, i won't forget you.

マンガ『妖怪アパートの幽雅な日常』より。

 

三月は別れの季節。

毎朝見ていた六年生たちとももうお別れ。

これから中学へ進み、高校へ上がり、自分の道を歩んでいくんですね。

一人一人、自分だけの道を手探りで探しながら、倒けつ転びつ。

そんな君たちの面影を私はきっと忘れることはないでしょう。

この古びたお寺から、君たちにエールを送ります。

そんな気持ちで書きました。

 

頑張れ、卒業生たち。

親への感謝は忘れるなよ!

人は運命を避けたその道で                            しばしば運命に出逢う

Our destiny is frequently met in the very paths we take to avoid it.

17世紀のフランス詩人”ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ”の言葉。

皆さんもご存知のイソップ童話『北風と太陽』や『金の卵を生むめんどり』などの寓話詩で有名。

「すべて道はローマに続く」や「火中の栗を拾う」などもラ・フォンテーヌの言葉だったそうです。

 

どんなに逃げても、持って生まれた運命からは逃げようがない。

結局運命は後から追いついてくる、ということでしょうか。

 

「落柿」という言葉があります。

柿の実は、熟したら落ちます。

それは土の上かもしれないし屋根の上かもしれない。

アスファルトの上かもしれないし、あなたの頭の上かもしれない。

でもその柿はすべて御釈迦さまの手のひらの上である、という意味です。

 

『運命はすべて決まっていて逃れられないもの』、と考えると、少しげんなりしますが『逃げてもいつかどこかで出逢うもの』と考えれば、ちょっと対峙する覚悟ができるかも??

苦しい期間ももう終わり 試験頑張れ 風邪引くなよ

period of getting overwhelmed with study for the test  is  olmost done. Good luck on your test. And  don't catch a cold.

二月恒例の山門の言葉は”受験生に向けて”。

 

受験シーズンってなんだかいつもそわそわしませんか?

自分の受験なんぞ、とっくの大昔に終了しているのに、毎年落ち着きません。

真面目に勉強しなかったから、いつまでもこんな風に思うのでしょうか?

 

受験で人生は決まりません。

高校や大学でその後の人生が全て決まってしまうなんていうのはナンセンスです。

しかし同時に、そこでの頑張りや踏ん張りが、のちに人生で糧になってくるということは十分にあり得ることです。

知識の吸収だけにとどまらず、”あれだけ頑張ったんだ。きっとできる”、”これだけきついことをこなしたんだ。どんなきついことにも挑戦できる”という克己色心を養う場でもある気がします。

頑張った分だけ前に進めます。

受験生諸氏!!

風邪に注意して、全力を尽くせ!

漂へど 沈まず

Il tangue mais ne coule pas.

 

ラテン語で、パリ市の紋章の帆船に添えられている標語です。

私がこの言葉に初めて出会ったのは、開高健著「花終る闇」でした。

当時大学生だった私はデカダンでアンニュイ、無頼で厭世的な釣り師であり作家の開高健に出会い、闇三部作を読みふけりました。

そしてこの言葉に出会い、私の座右の銘とすることを決めたのでした。

それ以来いろんな言葉に出会い、感銘を受けて来た私ですが、いまもその中心で燦然と輝くのがこの言葉です。

 

大学を卒業し、ヒッピーとなって世界中を放浪して回りましたが、ヒッピーの中で使われる俗語の一つに「沈没する」というのがあります。

その土地が好きになり、文字通り”はまって”しまい、他所に移ることができなくなってしまった状態のことを指して言う言葉です。

耽溺する、とでもいいましょうか。

 

執着は捨てよ。

まさにブッダの教えでありますが、惰性で旅を続けていると、本来日常から脱却したいはずだった旅そのものが日常と化し、旅を続ける意味を見失い、その土地から離れられなくなって沈没してしまう。

そんなヒッピーを私は何人も見てきました。

そんな私のそばにいて警告し続けてくれたのがこの言葉です。

今でもこの言葉が大好きです。

 

余談ですが、タイの孤島でプロのスキューバダイバーをしているときに、ダイバー仲間にこの言葉の話をしたところ「ダイバーやのに。。。沈まなあかんやろ」と言われた時は笑ってしまいました/////

許しても未来は変わらない   でも未来は広がる

Forgiveness does not change the past, but it does enlarge the future.

オランダの植物学者ポール•バーザの言葉。

 

許すことって、実はものすごくエネルギーを使いますよね。

私よくわかります。

口ではいくら偉そうに言っても、一人になってふと思い出して怒りが再燃、なんてこと、ありませんか?

私は怒りが収まらなくなると胃がとても痛くなります。

その時に「恨みの毒、怒りの炎で自家中毒を起こしている」というのがわかります。

深呼吸したり、散歩(うろうろ?)して見たりしますがなかなか一度燃え上がるとなかなか火消しが厄介です。

 

私にとって許すとは、相手よりも一歩高いところに登る、というよりも怒りのスイッチを入れる動作を止めることです。

脳の暴走を止める、と言ったところでしょうか。

 

眼はカメラ、脳は映画監督、観客は私。

 

でも観客のあなたは、いつも自分が見たい映画だけを見ていますか?

監督が推薦するものばかり見続けて来てはいませんか?

 

映画を見ることを一旦やめる=脳の働きを一旦止める。

 

そうすると少し暴走気味の監督の作品も、違ったものをフィルムに収めるかもしれません。

美味しい物があるのではない  美味しく頂くのだ

there is no delicious food, but grateful food.

私の師僧である、坪川民主大和尚の言葉。

 

うちのお師さんは、大本山總持寺の典座畑で長く修行したお坊さん。

典座、というのはお勝手のこと。

 

「修行」というと滝に打たれたり、お経を読んだり、坐禅したりということを連想しがちですが、我々禅宗で修行とは行住坐臥全てを修行と考えます。

中でも最も大切にされる修行の1つが、食事。

典座老師というのはつまり台所のボスで、最も大事なポストの1つです。

 

そんな師匠の口癖は「美味しいものなんかないよ。全部美味しく頂くの」

 

我々は、ついつい「これ美味しい」と言っては食べ過ぎ、「これ美味しくない」と言っては食べ残す。

でもそれは我々の中にある我執、揀擇、つまりはわがままです。

出されたものは文句を言わず、感謝の心を持って手を合わせ、一生懸命頂く。

これが美味しく頂くということなのではないでしょうか。

 

食という字は、人に良いと書く。

作ってくれた人の思いを受け止めて、一生懸命いただかなければ良いものをいただいているとは言えませんね。

 

皆さんは、お母さんのご飯、奥さんのご飯、学校の給食に感謝してありがたくいただいていますか?

 

 

常識とは十八才までに積み上げられた 先入観の堆積物にすぎない

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.

私がこよなく愛するアインシュタインの言葉。

 

「一般的にいってそれは少しずれている」

「常識っしょ、そんなこと」

「普通考えたらわかるよねえ?」

 

こんな言葉を耳にしたり、いったりしていませんか?

私はいつもいってしまいます。

 

育って来た環境が違うから、好き嫌いは否めない。

山崎まさよし 「セロリ」より

 

誰しも自分が考えていることと同じことを考えているハズ。

自分と違う価値観の人は間違っているハズ。

だから私は肯定されハズ、あの人は否定されるハズ。

 

我々は、自分を他人とは違う生き物とだからと自他の区別をするくせに、考えていることは自と他と考同じでいて欲しいんですね。

 

誰しもが自分を肯定してほしい。

でも他の人もきっと自分を肯定してもらいたい。

 

それなら私のすべきことは「常識」を振りかざすことではなく「理解」を深めていくことなのかもしれませんね。

試す、ではない                             やるか やらないかだ

Try not. Do. Or do not.

スターウォーズのエピソード5「帝国の逆襲」のヨーダのセリフより。

 

私が總持寺で修行している時の禅師さまは、現在御誕生寺のご住職であられる板橋興宗禅師でした。

禅師さまの言葉でいまでも胸に刺さっているものの1つに「坐禅は、坐るか、坐らないか。それだけだ」というものがありました。

 

何事においても、解説書や評論家などがあり、分析したり説明したりする世の中ですが、本を読んだり話を聞いても実際やって見なければそのもの自身を理解しることは難しい。

 

「百聞は一見に如かず、百見は一考に如かず、百考は一行に如かず」

 

何事もまずやってみる。

体験してみる。

 

頭でっかちになっていませんか?

「机の前に座り計画を練るだけで、一歩も動かないで老いぼれてくのはごめんだ」

ブルーハーツ ラインを超えてより。

キングもポーンも ゲームが終われば同じ箱に戻る

Once the game’s over, the king and the pawn go back into the same box.

イタリアの格言より。

この場合のゲームという言葉、いろんなシチュエーションに還元できますね。

私は”生老病死”がぽんと頭に浮かびました。

つまり人生そのもののことです。

 

人生はよくゲームに例えられますね。

しかしこのゲーム、初めから無理ゲー。

明確なルールがないんです。

だから、勝ち負けは決して決まらないし決められない。

だから我々の先輩方は、そのルールを作ろうと躍起になってきた。

そのルールとは、資本主義であり共産主義であり、キリスト教でありイスラム教であり、カースト制であり奴隷解放であり。

しかしどんなルールに則って自分の役を務めようとも、ゲームを続けられなくなれば、つまり死が迎えにくればそこで試合終了。

王様もこじきもない。

 

禅宗にいう「本来の面目」や「主人公」はこのルールに則っていません。

そもそも同じゲームですらないといえます。

 

自分は一体何者か。

 

それを探すのがいわば禅宗の目指すゲーム。

纏った仮面や体裁を捨て、本来の自己を見つめる。

それができれば、同じ箱に戻ることはない。

 

のかもしれません。

人生に失敗がないと 人生に失敗する

IF YOU  HAVE NO FAILURES IN LIFE, YOU FAIL LIFE.

歌人であり、精神科医でもあった斎藤茂太先生の言葉。

お父さんはやはり歌人で精神科医でもあった斎藤茂吉先生で、弟はこれまた作家で精神科医の北杜夫先生。

 

みなさん、失敗することを恥ずかしく思ったり、隠したくなったりしませんか?

 

私はします。

 

失敗より成功した体験の方が嬉しいし、胸をはって人に話すことができます。

失敗は少ない方がいいに決まっています。

 

しかしふと考えてみると、成功した体験より失敗した体験の方がずっと記憶に残っているというようなことが多々あります。

 

「あの時なんであんなこと言ってしまったんだろう」

「あの時ほかにやりようがあったのに」

 

後悔してもしょうがない。

だったら反省して次に活かす。

 

頭ではわかっているのですが、なかなかできませんね。

 

私はきっと他の人より失敗の多い人生を送っています。

しかしこの言葉を聞いて、少し気が楽になりました。

 

優しい言葉ですよね。

 

 

 

この泥が あればこそ咲け 蓮の花

no mud, no lotus.

 

 

蓮の花は仏教やヒンドウー教などにおける神聖な花で、特に仏教では仏様が坐っておられます。

蓮は泥の中から生まれ出でて清浄な花を咲かすことから、娑婆世界の苦しみの中からでも綺麗な花を咲かせられるようにしましょうね、というメタファーなのでしょう。

 

例年よりも1ヶ月以上早い開花に首を傾げておりましたが、よくよく考えたらこの蓮根、八王子の師寮寺から嫁入りしてきたものでした。

そういえば、東京は七月盆。

実家のお盆に合わせて盛りを迎えているのでしょうか。