つい先日、ちょっと不思議な体験をしました。
先日、降誕会坐禅会をしました。
当院では正覚殿(法堂)西序に「選佛場」と銘打って禅堂を置いておりますが、坐禅会の日にはカーテンで締め切って、仄暗い中蝋燭の明かりのみで打坐します。
折悪しく寒の戻りのきつい日で、参禅者は一人もありません。
そこで私は独りで打坐しておりました。
止静鐘を打ち、禅堂に入ってしばらくしますと、スーッと入口の扉が開く音がします。
(誰か遅れて来られたかな?)
そう思いながらもすでに一炷目の最中。
(遅れて来られたのだから一炷目は外単で坐ってもらい二炷目から入ってもらおう)
そう思い、抽解(坐禅と坐禅の間の休息時)に入って経行を終えた後、玄関に行ってみるとそこには誰もおられません。
(帰られたのかな? 悪いことをしてしまったな)
どうせ独りで坐っていたのだから、中座して声をかければよかった。
少し後悔しながら禅堂に戻り二炷目に入ると、先ほどまで誰の気配もしなかったそこに誰かいるような気配が。
私には霊感といわれるものはあまりないと思われ、これまであまりそんな経験は多くありません。
しかしこの日は間違いなく何かがそばにいるのです。
半眼でいると、誰かが目の前で座っている姿が朧げに移るのですから。
(何であれ、禅堂にくるくらいなのだから悪いものでもあるまい)
いつもと少し違った緊張の中、二炷目を終えて何者であるか確認すべくカーテンを開けると、すでにそこには誰もいる気配はしませんでした。
もしかしたら、降誕会という事で本尊さんが一緒に坐ってくださったのかな?
そうだとすると、坐禅を独りででも行ったことをとても嬉しく思いますし、ありがたくも思います。
もしかしたら、誰か遅れて入ってきたものの誰も見えないから帰ってしまったのかな?
そうだとすると、人間の感覚などというものは全く当てにならぬ幻のようなものだと面白く思います。
お寺ではいろんなことが起こります。
どちらが現実に起こったことだとしても、私にとっては大変興味深い体験でありました。
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島田典子 京都 (日曜日, 13 5月 2018 14:58)
長松院は、ご住職ご夫婦の心あたたかい努力により、ここ数年でとても立派なお寺にもどりつつありきっとご本尊さまが来られたことと思います。私の先祖もきっとよろこんでいることでしょう。
長松院山主 (日曜日, 13 5月 2018 15:56)
島田さま コメントありがとうございます。さしたる法力も持たぬ山僧が、ただ愚直に寺を前に進めようとしております。お寺を次の代まで伝えるために、今後ともご協力ください。どうぞよろしくお願いいたします。
島田典子 京都 (日曜日, 13 5月 2018 18:37)
長松院にお参りさせていただくたびにきれいにととのい、丁寧さから気持ちが癒され、いつも満たされた気持ちで帰ります。私にとってパワースポットのようなばしょでもあります。こちらこそこんごともよろしくお願いいたします。