アイルランドの劇作家、ノーベル文学賞受賞 (1856~1950)バーナード・ショウのことば。
かく言う私も、自分を探しに外に出ていったクチ。
十年ほども探し歩いて、ようやく外にそんなものはないと気づき、今度は内なる自分を探してお坊さんになり二十数年。
そしてこの言葉に出会いました。
もう少し早く気づけたらよかった…。
多くに人はこの問いに『そりゃ自分のためでしょ』というでしょう。
それは確かにそのとおり。
自分の人生、悔いのないように一所懸命に生きる。
当たり前のことです。
しかし我々は、自分のためだけにしか生きられない、そんな人生は寂しいものだということも同時に知っています。
親があり子があり、友があり伴侶があり。
太陽があり星があり、自然があり物質があり。
それら全てのものが存在するから、自分が生かしていただけていることを知っています。
だから少しだけ、自分の周りの人のために生きてみましょう。
できる範囲でいいんです。
そうすれば世界は少しずついい方に変わっていくと思います。
さあ、今日は誰の為に生きようかな。
久々の住職オリジナルの言葉です。
これは常々思っていることで、心がけていることでもあります。
私がまだ学生だったころ、中国語の先生からこのように言われたことがあります。
「お金や財産は配って仕舞えばなくなります。しかし、知識はいくら配っても決して減ることのない一生涯の宝です。今のうちにたくさん知識を貯めなさい」
今、この言葉は私の中での肥やしとなっています。
そして出た結論は『知識は智慧に昇華しなければ誰かのものにはならない』
德も同じタイプのものだと考えます。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない(宮沢賢治)
自己が他己に得をもたらせば、他己はまた別の他己に得をもたらします。
そしてその得=幸せの連鎖はやがて世界全体を巡ってそれがいつしか個人の得=幸せとなり自己に返ってくる。
世界が不安定になっていく今日この頃ですが、人は自分のためだけには生きていけない社会的生物なのです。
願わくばこの功德を持って遍く一切に及ぼし我らと衆生と皆共に幸せでありますように。